手段と目的

日本の愛国無罪 - タケルンバ卿日記

立派なことをしたかどうかと、違法な行為をしたかどうかは別次元の話。この話を混同してしまうと法治国家ではなくなる。「立派だと思う」という感情で法を曲げてしまっては、法治国家ではなく、「人治国家」になってしまう。

これってすごくセンシティブな問題だよね。「これ」というのは、いわゆる尖閣動画をアップロードした人はどう裁かれるべきか、というはなし。

タケルンバ氏は「犯罪は犯罪」と斬り捨てているんだけれども、それって俗にいう「思考停止」なんじゃないだろうか。氏の言葉を借りれば、

幼稚な護憲・改憲

手段を目的より優先するのはやめましょうや。

というやつだ。ここでいう手段とは「法律を守る」ことで、目的はいわずもがな「法律を守る目的」つまり「法律が守られるべき理由」になる。

法治国家である」ために、「法律は守るべき」ってそれはちょっとお粗末過ぎませんか。同意してる人も多いみたいだけど、もう少し考えてみてもいいんじゃないかなあ。

この問題、本当にいいリトマス試験紙だと思う。